「光ではかられた時 - 階梯 -」
「白州・夏・フェスティバル」/山梨県白州町/1991年8月/パラフィンワックス、灯芯

1991年に行なわれた白州・夏・フェスティバル*のオープニングに点火された蝋の階段。鑞を用いた(発表されたものとしては)最初の作品である。休耕田の段差を利用して設置された階段の高さは6m。南アルプス八ヶ岳に向かって延びる鑞の階段には、正午にレンズで太陽の光を集めて得られた種火を用いて、日没を待って点火された。道を隔ててフェスティバルのメイン会場であった巨麻神社では、田中泯と観世栄夫の競演など多彩な演目が進められる中、階段全体に及んだ炎は次第に火力を増し、自ら風を起こして、火の竜巻きのようになって夜空を焦し始めた。斜面をつたって滝のように流れ落ちる鑞は、初めは澄んだ池のように溜まって燃える階段を美しく映し込んだが、やがては周囲の畑全体に溢れ出して、鑞の湿原のように広がり、ついにはそこにも着火して、辺りは火の海と化していった。フェティバル関係者や観客も加わっての懸命な消火作業により、無事に火は消し止められ、延焼、大事に到らずに済んだのは幸運としかいいようがない。火のもつ威力、恐さをまさに身を以て痛感させられた作品である。

*白州・夏・フェスティバルは1988年から舞踏家の田中泯の呼びかけにより、美術、音楽、演劇、舞踊、文学、伝統芸能、民俗芸能、建築など様々な分野の関係者が山梨県北巨摩郡白州町に集まって始められた。美術部門は、榎倉康二、高山登、原口典之などが中心となり「工作集団 風の又三郎」という美術家組織を作って参加。多くの美術家が野外作品を様々な場所に制作設置していった。美術部門は95年に解散したが、フェスティバルは、田中泯、木幡和恵らのプロデュースによりアートキャンプ白州、ダンス白州と名前を変え、現在まで毎年継続して開催されている。



「光ではかられた時 - スパイラル -」
「個展」/YBP横浜ガレリア、神奈川/1992年6月/ガラス、蝋燭

蝋燭を床にドミノ状に並べて点火し、燃えていくプロセスを見せるインスタレーションの第1作め。円形の池に面したギャラリーは扇形の特徴的な形をしており、大小2つのギャラリー空間にまたがってφ螺旋*を描くように、約6000本の小蝋燭が並べられた。螺旋の中心から点火された灯火は、横倒しにされた灯芯を伝って次々に燃え移っていく。床にはガラス板が敷かれて、溶けた鑞の痕跡を標していく。螺旋は2つ目のギャラリーでは、広がっていく渦巻きと閉じていく渦巻きの2方向に分かれ、一方は壁に吸い込まれるように、他方は螺旋の中心に再び至って、いずれも燃え尽きた。また、壁面に立ち並ぶ柱には、日付けを記した鑞製のパネルが掛けられており、2週間の展覧会期中毎日、当日分のパネルが燃やされた。

*φ螺旋  回転する正方形とも呼ばれる。1辺=1の正方形を隣接して2つ描き、次に1辺=2の正方形を

「光ではかられた時 - 故山川輝夫に捧ぐ -」
「山川輝夫追悼展でのパフォーマンス」/YBP横浜ガレリア、神奈川/1992年8月/365個のカップキャンドル

東京芸術大学の恩師 山川輝夫(1992年1月20日没 享年51歳)の追悼展(東京芸術大学油画第5研究室展)でのパフォーマンス。展覧会場となったYBP横浜ガレリアの中央に位置する円形の池(水深15cm)の中央に、カップキャンドルを365個、菊の花状に円形に集めて、ひとつひとつに点火していく。次第に火の灯されたカップキャンドルは水面を漂い、池全体に広がっていく。



「光ではかられた時 - ジグラット -」
「個展」ギャラリー美遊、東京/1992年12月/蝋燭、スタイロフォーム

メソポタミアやエラムの古代都市に築かれた階段状の聖塔「ジグラット」を模して、小蝋燭をびっしりと集めて作られている。このジグラットの最上段はピラミッド型となっており、その頂点に火を灯すと神殿全体が燃え上がることは容易にイメージされよう。同地では、後にゾロアスター教(拝火教)が興り、また、今日なお戦火に焼かれる日々が続いていることを想わずにはいられない。



「光ではかられた時 - 黄道 -」
ギャラリートモス、東京/1994年1月/蝋燭、パラフィンワックス、ガラス

画廊は各種キャンドルの製造、販売を行なう企業の経営による。トモスとは「灯す」から名付けられたと言う。本展では、通りに面したガラス張りの1階と、同面積で真下に位置するブラックボックス(黒の壁面)の地階という2つの部屋を、想像力によって1つの空間として結び付けて構成した。すなわちガラス板上で燃やされた蝋燭が描く円は、一階と地階とに2分されて「黄道」を描く。地階の床は一面にパラフィンワックスで覆われており、中央の1点で火が灯される。火は自らの足下に穴を穿ちつつ次第に沈み込み、床面を内側からほの照らす。

「光ではかられた時 - 暖かい食事 -」
ライクスアカデミー、アムステルダム/1994年6月/スープ皿、サラダ油、灯芯

日航財団「空の日芸術賞」受賞による1年間の欧米派遣期間中、1994年4月から約4か月間、ゲストアーティストとして滞在したアムステルダムのライクスアカデミーでの公開制作。展示場所は運河に面したアカデミーの学生食堂である。ちなみにドイツなどにおいて夕食は、パンにチーズやハム、ソーセージなどをはさんで簡単に済ませることが多く、これを「kaltes Essen 冷たい食事」という。

「光ではかられた時 - クロイツ -」(床面)
「光ではかられた時 - フィボナッチフリーズ-」(壁面)
クルトギャラリー、ウィーン/1994年10月/ガラス、蝋燭

床面のキャンドルドミノインスタレーションでは、十字架状に東西南北に向かって蝋燭が並べられ、その交点から火が灯された。点火されてしばらくは炎の十字架を浮かび上がらせるが、灯火は次第に離ればなれになり、やがて壁に向かって消えていった。 壁面の作品においては、フィボナッチ数列に従って次第に燃やされる蝋燭の数が増えていき、天井近くに至ってフリーズ*のように壁面全体を取り囲む。
*フリーズ(絵様帯):ギリシャ神殿などで列柱上部の壁面のレリーフなどが施された帯状の装飾面のこと



「光ではかられた時 - 水鏡 -」
「桐生再演2」/群馬県桐生市/1995年8月/ガラス、水

群馬県桐生市は、かつて紡績や織物産業で栄えた町で、今も鋸屋根をもつ特徴的な形 の木造工場が数多く点在している。「桐生再演」は、東京芸術大学の油画の卒業生、 学生たちが中心となり自主企画によって、この町に残る古い建物を会場として、1994 年以来ほぼ毎年行なわれている展覧会である。 この作品は、桐生でも最も古い織物工場の裏庭に残された古い温室を使って行なわれ た。かつての工場主が欄を栽培していたという手作りの温室は、敷地の片隅に永らく 忘れ去られたようにひそりと佇んでいた。地面を50cmほど掘り下げてあり、両側に は植木鉢を置く棚が設えられており、人一人がやっと入れる程度の小さな温室である。 両側の棚板に差し渡して宙に浮かんだガラス製の浅い器には、縁すれすれまで一杯に 水が張られて周囲の風景を水面に映し込んだ。 あいにく水の重さに耐え切れず、設置してまもなくガラス器はまっ二つに割れてしまっ た。したがって、写真のような状態でこの作品を見ることが出来たのは、ごく少数の 人のみである。

「光ではかられた時 - 水鏡 -」
「アートフェスティバル in 鶴来」/石川県鶴来町/1996年10月/ガラス、水

白山(はくさん)は、古代より富士山、立山と並び称される霊峰として多くの信仰を 集めてきた。 この水鏡が置かれた舟岡山山頂は、霊峰白山を仰ぎ見る「まつりのにわ」として、白 山比め(しらやまひめ)神社が鎮座していたところである。白山比め神社は、加賀一 ノ宮であり全国の白山神社の本宮として、現在もこの山の麓に置かれている。 鶴来の町中から眺める舟岡山は、均整のとれた穏やかな三角形をしており、本宮から 脇道を通り細い山道をしばらく登っていくと、この水鏡の置かれた場所に出る。
*アートフェスティバルin鶴来は、ドクメンタ9(92年)のキュレーターとして知られ るヤン・フートとワタリウムが企画した「ヤン・フートin鶴来」(91年)、「水の波 紋」(95年)を引き継いで、地元の商工会青年部の人たちによって企画、運営された 野外展で、財団法人地域創造の助成事業として98年まで開催された。

「光ではかられた時 - 球 -」
「個展」/ギャラリー美遊、東京/1996年12月/パラフィンワックス、灯芯

1994年のギャラリートモスで発表された「光ではかられた時 -真夜中の太陽-」から の作品展開。直径1mのパラフィンワックスの球の頂点に火が灯される。灯は次第に 球の中心に向かって穴を穿ちながら沈み込んでいき、球を内側から照らし出す。以来この作品は、「つつみ開く 宇宙律」ギャラリー美遊、「美術の内と外」板橋区立美術館(いずれも1996年)、 「光ではかられた時 渡辺好明」齋藤記念川口現代美術館展(1999年)、「ジ・エッ センシャル」千葉市美術館(2002年)で発表され、次第に深く火を灯し続けている。 現在、千葉市美術館所蔵。

「光ではかられた時 - フィボナッチの薔薇 -」
「個展」/ギャルリSOL、東京/1997年10月/ガラス、蝋燭

ギャルリSOLの開廊に際して開催された。中心内部から正三角形、次に一辺を共有して外接する正5角形、次に正8角形というように、フィボナッチ数列に従って3、5、8、13、21・・・と辺の数を増やしながら正多角形を外側に形成し続けて出来る図形を「フィボナッチの薔薇」と名付けた。おそらく私自身によるオリジナルの図形だと思われる。正多角形の形は次第に円に近づいていき、前後の円(正多角形)の比率は次第に黄金比に近付いてもいくが、決して円にはなり得ない。

「光ではかられた時 - 対話 -」
「サ-ヴェイ ワークス」/ガレリア ラセン、東京/1997年4月/皿、食用油、灯芯

鷹見明彦企画によるグループ展で、この作品の前身はアムステルダムのライクスアカ デミーで行なった公開制作にある。スープ皿に食用油を注いで火を灯しただけのシン プルな設定。
火が自然界の力*のうちで最も人と因縁の深いものであることは、古今東西幾多の神 話に見られる通りである*。すなわち人は火を飼い馴らすことによって初めて人たり えたわけである。ここでは人は調理する動物であり、さらに食物摂取を体内での燃焼過程として考えるならば、人のみならず全ての動物の生存にとって不可欠な現象でもあることが連想されよう。

*例えば陰陽五行説の木・火・土・金・水の五元素やアリストテレスの自然学による 火・風・水・地の四元素など

*例えば古事記におけるイザナキ・イザナミの神生みにおける火の神ヒノヤグハヤヲ (ヒノカクツチ)神の誕生と、それが原因で起るイザナミの死。ギリシャ神話ではプ ロメテウスが人間に火を使うことを教えたがためにゼウスによって罰を与えられるな ど。

「光ではかられた時 - 螺旋階梯 -」
「光をつかむ-素材としての<光>の現れ」展/O美術館、東京
/1997年11月/蝋燭、真鍮釘

出品依頼があって実は困惑した。光をテーマにした展覧会ということで、「光ではかられた時」というタイトルのもとに制作されている私の一連の作品にとっては真にふさわしい企画だと思ったが、それだけに宝飾店と見まがうばかりのこの会場を見る時、そこで展示させられる作家はもとより、この展示空間を前提に企画を立てていかなければならない美術館学芸員諸氏に、深い同情の念を禁じ得ないでいたからである。このような展示空間において私の作品が成立するために、私は完全に独立した円形ブースの仮設を提案せざるをえなかった。それはもう一つには防火対策上必要とされた処置でもあったのだが、その結果、限られた人数しか許容できない密室空間内で、壁面に沿って燃えていくキャンドルドミノ作品が初めて実現出来ることになったのは怪我の功名というべきか。

「光ではかられた時 - 透視立体 -」
サイズ:高 470 × 幅920 × 厚50 mm/1998
素 材:パネルに麻布、ワックス、油彩

「光ではかられた時 渡辺好明 」
「個展」/齋藤記念川口現代美術館、蕨市/1999年3月/ガラス、蝋燭

「光ではかられた時 - プラトン立体 -」

1994年4月2日に「土屋公雄-来歴-」を開館記念展としてオープンした斎藤記念川口現代美術館は、1994年3月21日本展「光ではかられた時-渡辺好明-」で、わずか5年間の活動の幕を降ろした。比喩的に言うなら、私の蝋燭がこの私立美術館の最後の火を灯したというわけである。
70年代以降の日本の現代美術に限った独自のコレクションを持ち、小規模ながら特色ある企画展を開催してきた同館の閉館は、 セゾン美術館の閉館とともにバブル崩壊の余波が脆弱な日本の美術界にも及んだ象徴的な出来事として人々に認識され、そのせいか個人の展覧会としては開館以来最大の入場者数を記録した。
私にとっても、渡独前の初期ドローイングから新作のインスタレーションまで、小品を含む全18作品の展示は、初めての回顧展というべき内容であった。企画された森田一学芸員はじめ関係者の皆様には今も深く感謝している。

「光ではかられた時-フィボナッチフリーズ-」(壁面)
「光ではかられた時-トーラス-」(手前)

「光ではかられた時 - 平行線 -」(壁面)
「光ではかられた時 - ピラミッド -」(手前)

「光ではかられた時 - 水平線 -」

「光ではかられた時 - オーナメント -」
「ヤーパンドルフ」/トウン市美術館、スイス/1999年10月/ガラス、蝋燭

かつて留学していたデュッセルドルフは、ドイツの商業の中心として日系企業の支店も多く、日本人ビジネスマンが多く暮らす町として知られる。「ヤーパンドルフ」とは「日本村」という意味で、デュッセルドルフで活動している日本人作家による展覧会に、トウン市美術館館長となった旧友のWielfried von Gunten氏の招きにより、日本からただ一人参加した。元ホテルだったという建物の床に寄せ木細工による縁飾りを見いだし、その形(ジグザクの二重螺旋)通りにキャンドルドミノを配置した。

「光ではかられた時 - フィボナッチの薔薇#2 -」
「個展」/中京大学 C-スクエア、名古屋/1999年12月/ガラス、蝋燭

中京大学が運営するアートギャラリーで、企画運営は森本悟郎氏。ギャルリSOLで発表した「フィボナッチの薔薇」の第2バージョンで、フィボナッチ数列にしたがった直径比による外接円が展開された。第2室では、床一面にパラフィンワックスを敷き詰めて「真夜中の太陽」を展示し、会期最終日にはクリスマスをそこで祝うこととなった。

「光ではかられた時 - 太極 -」
国際交流展「ハンナム/出会い」東京芸術大学美術学部+韓国芸術総合学校
芸術の殿堂ハンガラム美術館、韓国/東京芸術大学大学陳列館、東京
/2005年8月、11月/蝋燭、ガラス

「光ではかられた時 - 太極 -」
国際交流展「ハンナム/出会い」
芸術の殿堂 ハンガラム美術館/東京芸術大学大学陳列館
東京芸術大学美術学部+韓国芸術総合学校/2005年8月、11月/蝋燭、ガラス



「光ではかられた時 - ボロメオの結び目 -」
「個展」/SPICA art、東京/2004年9月/蝋燭、鉄パイプ、ガラス



「光ではかられた時 - 易占 -」
「鷹見明彦 企画《SYNAPHI-連系》志水児王との2人展」
MUSEE-F/表参道画廊、東京/2003年9月/鏡、蝋燭、ガラス

「光ではかられた時 - 暖かい食事 -」
東京芸術大学美術学部+バウハウス大学造形学部
現代美術交流展「グリーンスペース2 - 光と影 -」
バウハウス大学本館、ドイツ/2003年7月/オリーブオイル、スープ皿、灯芯

「光ではかられた時 - 水鏡 -」
東京芸術大学美術学部+バウハウス大学造形学部
現代美術交流展「グリーンスペース」
東京芸術大学取手校地、茨城/2002年9月/ガラス、水

「光ではかられた時 - オーナメント -」
「ジ・エッセンシャル」千葉市美術館/2002年3月/ガラス、蝋燭

「光ではかられた時 - ホライゾン -」
「ジ・エッセンシャル」千葉市美術館、千葉/2002年3月/ガラス、蝋燭



「光ではかられた時 - ピタゴラスの樹 -」
「個展」/SPICA MUSEUM、東京/2001年1月/ガラス、蝋燭

三平方の定理(ピタゴラスの定理)による3つの正方形を繰り返し連続させて出来る樹木状の図形を「ピタゴラスの樹」と呼ぶ。一種のフラクタル図形といえる。
ピタゴラスは紀元前6~5世紀のギリシャの数学者、哲学者で、万物の根源を「数」であると考えた。彼は「サモスの賢人」「クロトンの哲学者」とも呼ばれ、彼の弟子たちによって結成されたピュタゴラス学派は、自然界(数学)における様々な定理を見いだしたことで知られるが、ピュタゴラス教団とも言われるように、宗教的な性格も併せ持っていたようである。

「光ではかられた時 -∞-」
「個展」/巷房、東京/2000年12月/ガラス、蝋燭

ミレニアム記念作品。10枚のガラス板の両面で各100本のロウソクを燃やして描かれた円が8の字状にずらして2つ重ねられている。その結果、合計2000本のロウソクによる「メビウスの輪」が中空の円柱に浮かんで見える。





「光ではかられた時 - 円 -」
「ワンダリング・ウインド~日本現代美術の3人」渡辺好明・中瀬康志・エサシトモコ
/企画:松永 康/Gallery Apel、イスタンブール
/2006年1月/蝋燭、鉄パイプ、ガラス、鏡